2021夏の白馬キャンプ 各聖会メッセージ速報1

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7月19日 プレキャンプ夜の聖会

 2021年夏の白馬キャンプがスタートした。
 7月19日午後7時30分から、プレキャンプの夜の聖会が行われた。
 前半賛美と預言の後、ハワイ教会牧師でロサンゼルス教会協力牧師でもあるエルサレム渕野牧師が証しした。

 証しの後、Eshurun(サンディエゴ賛美の柱教会)、クロスロード(名護アンテオケ教会)、しるしと不思議(四日市シオン教会)、Gospel Seed(小岩アジアインターナショナル教会)、Gifts(東京アンテオケ教会)が特別賛美した。
 
 その後、まず、ペテロ永藤牧師(沖縄エルサレム教会)がローマ人への手紙8章28節を開き、ショートメッセージを取り次いだ。
 永藤牧師は、「この箇所は神さまからの条件付きの約束であり、神を愛すること、つまり、神さまに従うことを通して、神さまが全ての事を働かせて益としてくださるというものだ」と説明した。永藤牧師は自身の献身生活の経験や牧会でのエピソードに触れながらみことばを取り次いだ。
 また、神さまは、さまざまなコロナを含む問題を通して私たちを立て上げ、祝福してくださると語り、私たちが主に従っていく歩みは①神にある勝利者の歩みである②神さまによってすべてが与えられていく③神が私たちを義と認めてくださる④キリストがとりなしをしてくださり、神が助けてくださる―ことをメッセージで取り上げた。

 次に、パウロ弓野牧師(東京町田教会)がイザヤ書55章11節からショートメッセージを取り次いだ。 
 弓野牧師はまず、黙示録の時代の前半、大リバイバルが起きてくることに触れ、今の時代は再臨や患難時代が近づいていることを、イスラエルやヨーロッパ情勢を取り上げつつ、あらためて述べた。
 また、「神さまは一方的に恵みとしてご自身のことばを成就するとともに、神に従った人々を通してご自分のことばを実現していかれる。終わりの時代、教会が神のことばに従っていくならば、終末のリバイバルで神さまが力を現してくださる」と強調した。

パウロ秋元牧師


  
 後半賛美と預言の後、パウロ秋元牧師(東京アンテオケ教会、TLEA責任長老)が使徒の働き1章8節からメッセージした。以下、抜粋する。

 ホテルグリーンプラザ白馬はコロナ禍で閉館されている中、今回、貸し切りという形で使わせてくださった。「白馬」という名前は特別で、黙示録に最初に出てくる「白馬」の記述はリバイバルを指し示す。それと同じ名前の場所に導かれていることは主の特別な導きである。
 この場所(白馬のホテル)が開かれたのは、教会のあるヤングキャンプが行き詰まり、どこも場所が開かれないという最悪な状況の中だった。そこから最高の状況を主が開いてくださった。またこの場所は、私がかつてよく歌っていた「山小舎の灯」の舞台でもある。
 「白馬」という名の場所で聖会をさせてくださることに主の特別な手があり、奇跡である。主は白馬に導いてくださったのであり、黙示録における「白馬」に目を向けさせ、そこに至らせようとしている。
 
 今、各地方の聖会で変化が起きてきている。人が救われ、人々が集まってきている。この後、働きが広がっていくのではないかと感じさせられる。
 これまで10年、20年と動かなかったのは、サタンの妨害ではないかと私は感じていた。今、壁が崩れてきていると感じ、それはもっと大きく崩れてくると思う。

 今は時代が変わってきている。再臨が近づいてきている。再臨前の混乱、災害、主の特別な働きの時代に来ている。それに相応する対応を取るかどうかは、大きな違いとなる。
 「TLEAは極端だ」と言われることもあるが、聖書通りやろうとすると、そう言われることもある。聖書的にやろうとすると迫害され、サタンが妨害しようとする。
 コロナはとんでもない問題だ。穏やかな時代が厳しい状況となってきているが、聖書から見ればさらに困難が訪れる。そして、その中で主が大きなわざをなされる。

 最近、「イエス・キリストと会った」という証しをよく聞く。アフリカの集会でイエス・キリストに会ったとか、しょっちゅう、キリストが出て来るなど。私は、それは「あり得る」とは思う(中には怪しいと思えるものもあるが)。 
 イエス・キリストに出会うとは、どういう利点があるのか? パウロは「使徒はみな、復活したキリストにあっている」と述べている。当初、働きの中心になった500人くらいは、皆、キリストに会っている。
 私はイエス・キリストに会ったという方を3人ほど知っている。チョー・ヨンギ牧師、井上哲雄牧師、イリエ・コロアマ師。
 チョー・ヨンギ牧師の祈りの穴というのがあり、チョー牧師はそこでキリストに何度か会ったという。井上牧師もその穴をお借りして祈った時、キリストにお会いしたという。
 私もその場所をお借りして祈ったことがある。臨在の中でキリストに触れたが、顔と顔を合わせたわけではなかった。
 しかし、霊的に体験するということも重要な意味合いがある。「聖霊があなたがたに臨む時」と聖書に書かれている。聖霊が働く時、私たちは「証人となる」と書かれている。「私はイエスさまの素晴らしさ、愛、奇跡、いやしを知っている」ということになる。
 
 聖霊によってイエスさまを体験し、証人となることによって、主は私たちを通して豊かに働かれる。私たちはその証人になるように召された者たちである。それを覚えていただきたい。