【続報】アズベリー大学リバイバル現地リポート 前編

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訪問者の方々にインタビュー・前編/盛岡聖泉キリスト教会 中野與子牧師の現地取材

盛岡聖泉キリスト教会の中野與子牧師がリバイバル(聖霊刷新)が現されているアズベリー大学を訪問し、現地取材した特集記事の第2弾。現地を訪れた人々へのインタビューを紹介する。

 アズベリー大学の近隣にある教会「All Nations Church 」出身のポール牧師が、現教会メンバーで友人のアンドリューさんの紹介でインタビューに応じて話してくださいました。

2008年にも聖霊刷新が

 私たちは2005年から2010年までここの学生でした。私は神学校を2010年に卒業しましたが、アンドリューは大学生で、私たちは教会で知り合い、長い間リバイバルを祈ってきており、このキャンパス内だけでなく、国内外のためにも祈ってきました。そして2008年、私たちはこのメインチャペル(ヒューズ講堂)で同じように聖霊さまの大きな注ぎかけがなされるのを経験しました。
 それは私がアパートで祈祷会をしていた時で、毎週水曜日に集まり数人で集まって一緒に祈っていましたが、祈祷会に来るはずの日本人学生が現れなかったので携帯にメールを送ったところ、メインチャペルでの礼拝がまだ終わらず、ずっと続いているとのことですぐにその場所に駆け付けました。夜の10時ごろでしたが、人々が飢え渇きを持って主を礼拝しており、この礼拝は数日間続きました。その間、さまざまなしるしや不思議、いやしなども起こり、私たちはそれに本当に感動しました。
 それから多くの者たち、生徒たちが通りに出て、主イエスのことを語り、証しをなし、伝道するようになりました。 その時から私たちはさらなるリバイバルを祈るようになりました。

神への礼拝、祈りから

 私は10年前にここを去り、カリフォルニアに移り住み、伝道牧会に携わって来ましたが、ニューヨーク市に働きの拠点を移すことが導かれ、家族と一緒にオハイオ州シンシナティにまず移動して数カ月間を過ごしてきました。
 そして最近になってこのキャンパスでリバイバルが起きていることを知り、Facebookで確認し、実際にこの目で確かめにやってきました。こちらで今起こっているリバイバルはとても平和に満ちており、有名な説教者はおらず、傑出した演奏家たちのバンドもきらびやかな照明も無く、基本的なものだけがあるだけですが、聖霊さまの優しく甘美な存在、完全にピュアで聖なる神の臨在と愛が注がれているのを感じさせられています。
 それで、真のリバイバルとは、神を真に礼拝することから始まっていくことを知りました。それはとても単純なことです。 神の素晴らしい臨在の中でへりくだり、自身をささげ、賛美と感謝をささげながら神のリバイバルを祈っていた19人を通して聖霊さまの働きが始まったのです。

さらに大きなみわざ

 興味深いのは、本来なら私は今ごろすでにニューヨーク市にいるはずだったのに、レキシントンとオハイオ州シンシナティの間の場所に7カ月間留まらなければならなかったことです。待たされるのはとても大変でしたが、神は私のためにすべてを備え導いてくださいました。
 今もすぐにニューヨークへ行く準備ができたかどうかは分かりません。私はとても必死に祈っていました。「イエスさま、私にはリバイバルをもたらすことはできませんが、あなたはできます」と。多くの人々は今回の出来事を、霊的目覚めの時、聖霊のあふれ流れ出る働き、そして救いや回復のリバイバルが起こされているなどと説明しようとしていますが、神さまはそれ以上のことを、大きなことをなしておられると思っています。
 私はカリフォルニアに10年間いましたが、そこでは確かにリバイバルが必要であり、全米どこにおいてもリバイバルを必要としています。ずっと祈ってくる中、私は単なる空想を描き追い求めているだけなのか、ただ夢を見ているだけなのかと思わされることもありましたが、神はとても真実忠実な方であられることと、私たちに助けてもらわなければならない方ではないことを今回改めて知らされました。そのような歴史的瞬間に立ち合わせていただいたのです。

青年は幻を、老人は夢を

 われわれはどこの教会においてもそうですが、このZ世代に手を差し伸べようとあらゆる試みをなしてきながら、より多くの若者が教会を去っていると感じており、その努力は失敗に終わっているように感じていました。神はそれをすべてご存じで見ておられますが、リバイバルは最高のプログラムを通して起きるものではなく、私たちが起こすことでもなく、天の父なるご自身の愛、主キリスト・イエスを通して現わされる愛で彼らとその人生に触れてくださる時、真のリバイバルが起こることを私たちは学びました。
 自分はそれなりに歳を取ってきたことを感じているのですが、「青年は幻を見、老人は夢を見る」(使徒の働き2章17節)と聖書に記されているように、神は若者たちを用いて、あらゆる世代の者たちにも今働きかけておられることを今見せてくださり、そうなっていくことを信じ期待しています。