2021年 夏の白馬キャンプ 各聖会メッセージ速報5

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7月22日 閉会聖会

2021年夏の白馬キャンプの閉会聖会を総括した。

 前半賛美、預言の後、ショートメッセージでは、まず、ペテロ永藤牧師(沖縄エルサレム教会)がヨシュア記5章13~15節を開いてみことばを取り次いだ。

 この箇所はTLEA(当時は国分寺クリスチャンセンター)がスタートした際に開かれた箇所で、私の召命のことばでもある。
 ヨルダン川を渡る前にも、渡る際にも、主の奇跡がどんどん現されているのに、エリコの門、城壁は閉ざされていた。神さまは「この地を与える」と約束を与えておられていたのに、城壁があり、門は閉じていた(問題や困難がそこにあった)。そこに主の使いが抜き身の剣を持って立っていた。ヨシュアは主の使いに「あなたは私たちの敵ですか、味方ですか」と聞くと、「私は主の軍の将として今、来た」と言われた。 さらに主のわざが現されていくために、民を導くために来られた。
 「足の履物を脱ぐ」とはしもべになること。問題、困難の中で、主は「ここは私が支配し、導く所である」と語られる。主の軍の将であるイエス・キリストが、白馬に導いてくださって、これからも私たちを導かれることを覚え、従っていく必要がある。

 続いて、パウロ北野牧師がルカの福音書21章29~36節から語った。
 


 世の終わりの時代、祈っていないと私たちの思索は世に染まってしまう。祈りが重要であることを昨日、分かち合せていただいた。
 TLEA初期の頃、教会の学びのクラスの担当を任されたことがあった。準備不足を覚えたが、今から考えると、もっと早く準備するように主は自分に語っておられたように思う。祈り、備えることの重要さを知った。
 働きに十分間に合うように主は語ってくださるので、恵みによって祈り、主のことばを聞いて備えていけるように歩みたい。

 さらに、パウロ弓野牧師がヤコブの手紙2章17節からメッセージした。

 ここは、信仰は使わなければ何の意味もない、神の働きを見ることができない、と勧めている箇所だ。
 信仰を使うかどうかは、私たちの人生でも大きな違いとなっていく。信仰を使うとは、感謝すること、聞き従うこと、祈ること―の3つが大きくは上げることができる。
 感謝の教えでは、神さまは私たちの教会にマーリン・キャロザ―ス師との関わりを与えてくださった。マーリン師を通して「1人が100万人をキリストに導く」とのビジョン、示しを与えてくださっていることを覚え、リバイバル、終末の時を歩む必要がある。
 いやしにおいても、小さなことを含めて主に従い、信仰を使っていく時、主のみわざを見ていく。

 献金、Giftsによる特別賛美、後半賛美と預言の後、パウロ秋元牧師が使徒の働き1章8節からメッセージを取り次いだ。

 TLEAにおいて、皆さんにおいて起きてきた出来事を見た時、もう不可能、最悪ということを私たちに認識させた後、神さまがわざをなすというパターンが非常に多い。
 私(秋元牧師)の赤面症、海外宣教など。賛美の働きもそうで、我々の海外宣教チームでは賛美で人が散ってしまったほど、下手な賛美だった。ところが主のことばがあり、どんどん賛美の力が引き上がった。これは決して我々の力と思ってはならない。主の力、主の恵みだ。
 以前、サンフランシスコで福音派の教会の会場をお借りして聖会を行っていたが、聖会にその福音派の牧師さんや役員の方も来ておられた。ある時、我々の賛美を聖霊にうながされたように、我々のやり方でそのまま行った時、牧師の方が近づいてこられ、「素晴らしい、天の賛美だった。われわれの礼拝で賛美してほしい」と言われ、本当に感動しておられた。主の特別な手が働いていたと言える。
 賛美の働きが強まるために、我々が何かをしたわけではなく、主がなされ、主が引き上げられたと言える。

 私たちの人生にも、主が特別な恵みを与えてくださる。その時、ポイントになるのは神さまご自身だ。
 祝福を見ないパターンの一つは、私たちが否定的になることだ。祝福は恵みだが、不信仰は恵みを遮断してしまう。信じる時に、主の恵みと力は豊かに現される。それは私たちの努力や能力をはるかに超えて現される。
 全ての事を感謝し、喜び、主に聞き従う中で、リバイバル、終末における主の大いなるみわざが始まっていく。

 最後に、今まで主がなしてくださった素晴らしいみわざの故、また、これから主がなされる素晴らしいみわざの故に、主をたたえる時を持ち、今年の白馬キャンプが閉じられた。