体験談/パンクロックでも哲学でも埋まらなかった ー むなしさを変えたもの

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TLEA Channel 体験談動画 制作 TELA映画ミッション
■み声新聞社エゼキエル北島代表の救いの体験談の動画(YouTube「TLEA Channel」/TELA映画ミッション制作)からテキスト記事にしました。

新聞会社社長、北島克則さん。1960年生まれ。山口県柳井市出身。実は北島さんには、意外な過去が……。40年前、大学時代、パンクロック・グループのボーカルで活躍していました。動画の写真は法政大学学生会館前コンサートのステージのもよう。

−なぜパンク・ロックを始めたのですか?
叫ぶようにたたきつけるように歌ったら何か見えてくるんじゃないかと思ってやっていたんです。


−からっぽの心……パンクロックでも、哲学でも、宗教でも埋まらない……むなしさ。そんな北島さんにとって転機となったことは?
1991年の年の瀬、仕事を終えて東京の竹の塚駅からアパートに向かっていたんですが、いつもなら暗い感じできょうも疲れたと言って帰るところ、その時何があったという訳ではないんですが歩いてたらパーッと夜空が明るくなったと感じたんですね。それで不思議なんですけど十字架のイエスさまが見えたんです。見えたと感じたんです。
その幻は神さまが本当に見せてくださったのかどうかは分かりません。ただ私がたまたま錯覚でそう見えたのかもしれませんが、とにかく思いが来たんですね。その幻と同時に「キリストが来る!」という思いが来たんです。
私はあまり聖書のことを知らなかったんですけど、とにかく「キリストが来る!」という思いがものすごくあって、「何だ、これは?」って思いまして。でも何か平安があるんですよ。だけど何だか分からない。何か分からなかったので、書店の開店と同時に新約聖書を買って読み始めた訳ですね。
「キリストって何だろう? 」って全然分からなかったので、十字架の事が書いてあったりとかですね、「ああ、こういう事なんだ」っていうことで。それが最初のイエスさまとの出会いというか、聖書との出会いですね。
それで妻に突然「イエスさまってこういう人なんだよ」とか言い始めまして。私は何にも勉強してなくて、教会にも行ってなかったのにそういう事を言い始めたので、妻からすると「またこの人の変な宗教談義が始まった」という感じで閉口されまして。
「あなた、そのキリストもいいけど、あなたが言っている事が本当に正しいかどうか分からないんだから、教会にちゃんと行ってそれが本当に正しいかどうか確かめてもらいなさい」と言ってくれて、「ああ、それもそうだな」と思って「教会に行ってみよう」と思ったんですね。だから本当のキリストとの出会いはその教会に行ったその瞬間かもしれません。


−教会に行ってどうでしたか?
私の宗教観がほんとに変わりましたね。例えば大学の頃は理論で理屈で宗教をちょっと学んだりしましたし、卒業後自分を変えるためにと実験的に入会した創価学会の時には無理やり自分で信じ込ませるようにして無理やり入ったというところがあったんです。
教会に初めて行った時はそういうのはもう嫌だと思っていまして、自分で頭で考えたり自分で思い込んだりするのはやめようと思っていましたので。だから警戒する訳じゃありませんけどニュートラルな状態で教会に行ったんです。
そうしましたらすごく明るいんですよね。皆さん喜んで賛美しているんですけど、その人の様子を見たというよりも、なんかこう「神さまがここにいらっしゃるんだ」という感覚があったんですね。「本当に主がおられるんだ 。神さまは生きていらっしゃるんだ」というのが分かったんです。結局、自分が信じ込むという前に、イエスさまが自分を招いてくださった、迎えてくださったという感覚でした。
だから「今までが何だったんだろう」という感じですよね。今までは応答がないものに向かって自分が無理やり山登りするような感じでやってきた訳ですよね。自分の「むなしさ」を克服したいというか、解決したいということで。パンク・ロックバンドもそうでした。なんか険しい山を登るような感じ。宗教も哲学もそうですけど、打ち込んで掘り進んでいったら何か見えるかもしれないと。結局、行き着く先は何もないという状態でした。
もうそんな努力なんか関係なく、イエスさまの方が私に近づいてくださって、私を導いてくださったと感覚がありました。
(バック流れる音楽は荒地に川ミュージックCD「やすらぎの歌 第1集」所収のJ.GOSPEL「あなたのみまえには」。写真は新潟市の公共スペースで新潟ゴスペルクラブ全員が賛美している様子。北島さんはオリジナルのゴスペル「あなたのみまえには」を作詞作曲しました)


−むなしさがなくなっていたのに気がついたのは?
「むなしさ」をずっと抱えてきた訳ですけど、イエスさまと出会って、イエスさまを信じるお祈りをして、教会の礼拝に毎週通うようになって、自分が問題にしていた「むなしさ」というものが無くなってたということに気付いたんですね。無くなっていたというよりも、もうあってもなくてもそんなのどうでもいいと言いますか。
それよりも「神さまが生きていらっしゃるんだ。生きて働いておられて、私たちを愛してくださっているんだ。全てを赦してくださって、ほんとに生きて導いてくださっているんだ」ということでもうほんとにいっぱいで、自分の「むなしさ」を考えるひまもないというか、考える必要もなくなっていました。そしてある時気付いたらその「むなしさ」は無かったという状況だったんですね。


−むなしさがない経験は初めてですか?
それは初めての体験です。今までいろんなものにのめり込んだりいろんな事に一生懸命になれば何とかなると思ってたのが、結局自分では何ともできなかった。だから今から思えばやっぱり神さまが、イエスさまが私の心に入ってくださって、私が何かをするんじゃなくて神さまがしてくださったんだと思うんですね。だから気が付かないうちにそれはもう無くなっていたということですね。
だからパンク時代のレコードも楽器も全部捨てまして、今から考えればもったいなかったかなと思うこともあるんですけど、まあ一度けりを付けるということで、もう賛美しかいらない、もう神さまを賛美するのがうれしくてしょうがなくてですね、毎週日曜日が待ち遠しくてしょうがなくて、日曜日になって礼拝に行って賛美をして生きてる神さまを体験して、そのうち日常生活でも神さまにお祈りができるようになって、ほんとに変えられていきましたよね。
イエスさまは生きていらっしゃるお方です。その生きていらっしゃるお方にぜひ出会っていただきたいなと思いますね。■