2022年イスラエルチーム 聖会メッセージを紹介⑤

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11月6日 新年度礼拝メッセージ 申命記1章40節

2022年10月31日~11月12日までの予定で派遣されているイスラエルチームでの各聖会メッセージを紹介する。5回目は11月6日、ガリラヤ湖湖畔でなされた新年度礼拝のメッセージ。

新年度のみことばは、申命記1章40節
「あなたがたは向きを変え、葦の海への道を荒野に向かって旅立て」

 年度のみことばとして示されたのは申命記1章40節。
 これは、出エジプトしたイスラエル人が、神さまから約束の成就であるカナンの地を与えると言われて出て行ったが、40年間、カナンの地を与えられることはなく、しかし信仰的な訓練を受けた。40年が終わり、(指導者が)モーセからヨシュア、カレブに変わり、神さまが言われた。「これから本格的な働きに入っていく。向きを変えて荒野の方にいきなさい」と。
 これは約束の成就を受けるために、信仰的な対応を取りなさいということだ。
 これは、われわれの歩みとも大きな関係があり、1つはリバイバルが起きてくるということ。アメリカでハバクク書のことばが示された。
 日本におけるリバイバルはかなり昔から言われており、宣教師の方々を含め多くの方々がそれを求めていた。しかし、全然起こらない。我々にリバイバルのことが示された時(「リバイバルが始まった」との示しが与えられた時)多くの方々があきらめてしまっていた。ある方が教会に来た時、「あなたがたは本当にリバイバルを信じているのですね」と言われた。
 今は、そこからさらに年月が経った。待たされる時、信じない人が引いて行ってしまい、そこでよりわけが起こる。私たちはリバイバルを示された教会だが、来ている人々の中にも、リバイバルの信仰にしっかりと立つ方、信仰が薄れた方、どうでもよくなった方すらいらっしゃるでしょう。
 しかし、主の時がある。昨日、レオン牧師の教会に行ったがロシア系ユダヤ人の働き、世界に行く(世界宣教)ことなど、主の示しは確かに主の時に成就している。
 主エジプトした民は、カナンの地が与えられると語られ、従い、そしていよいよ成就の時を前にしている。「葦の道に行け」とは、家までの帰り道に行くのとは根本的に違う。約束の成就に至る道に行け、ということなのだ。
 
時を見分けよ
 その際、2つポイントがある。
 1つは、成就の道に入るということは、約束の成就が明確に表れる段階にはいったということ。ロシア系ユダヤ人の働きもしかり。教会に示されていることの成就について、時のポイントを見なければいけない。
 また、神の約束は教会の働きなので、それを見失わないようにしなければいけない。 

主に愛され、主に信頼する素晴らしさ
 第2に、40年荒野にいたイスラエル人だが、出エジプトの民が非常に信仰的に見えたのは出エジプトする前と言える。(過ぎ越しの祭り)など、ちゃんとモーセの指示に従った。
 しかし、出エジプトした民はどうにもならない罪人だったということが40年の歩みの中で分からされたと言える。
 我々も(教会のスタートから)40年は立っていないが、その年月の中で分からされたのは、より罪人であるということだろう。TLEAを批判中傷した人々もおられるが、我々も負けていない罪人だと言える。
 40年の年月の中で、その罪人が立て上げられていった。私たちも罪人で、主がおられなければ何もできない者たちだと学ばされてきた。
 主の素晴らしさを知り、主に信頼することの恵み、主に愛されることの祝福を私たちは受けて来た。今、向きを変える中で、主にある恵みによって強められ、対応する必要がある。

自分の信仰に頼らない
 もう1つポイントがあり、それは、40年間の歩みの中で出エジプトした民は「なかなか私の信仰もいい」と思ったことだろう。紅海が分かれたところを通り、モーセを通しての奇跡をともに見た。
 私も「TLEAってなかなかいい信仰しているな」と思っていたが、長くやっていると「あまり他と違わないな、とんでもないな」と思うようになった。主は「自分の信仰に立つおろかさ」について示された。
 私は『御声に聞き従う』(雲の間にある虹出版)や『預言―その実際と運用』(同)も書いた。その分野ではより強いだろうと考えていたが、その道を歩む中で分かったことは、本当は強くないということだった。
 御霊の賜物の働きでも、主のわざの働きでも、自分に頼らない。自分はまさに罪人であり、神の働きを背負う者とはなれない。しかし、キリストは違う。キリストによって私たちが主の大きな働きを担うように導かれている。
 主が示されたならばそれは成就する。それを覚えてこれからの歩みを歩みたい。