2022年イスラエルチーム 聖会メッセージを紹介②

163

11月2日 エルサレムでの聖会 「リバイバルは始まっている」など告白強める

 2022年10月31日~11月12日までの予定で派遣されているイスラエルチームでの各聖会メッセージを紹介する。2回目は11月2日、エルサレムでの聖会。

 前半賛美預言の後、クロスロードによる特別賛美の後、ショートメッセージをテモテ小林牧師、イスラエル小須田恵牧師が語った。
テモテ小林牧師はピリピ人への手紙3章20節から、私たちは天に国籍を持つ者たちだが眠りやすい者でもあること、だからこそイスラエルに来て祈る恵みは大きく、リバイバル、終わりの時代に宣教をしていく者として目を覚ましていく必要があることなどを語った。
イスラエル小須田恵牧師はマタイの福音書21章2、3節から、私たちは、ろばの子のように自分に力がない者であるがありのまま神さまに愛されていること、主は整えて用いてくださることなどを自身の体験を踏まえて語った。

 後半賛美、預言の後、パウロ秋元牧師がヨハネの手紙第一5章4、5節からメッセージした。以下、抜粋する。

 昨日、飛行機でイスラエルについたが、全員分の荷物がなくなってしまった。主は、「海外宣教チームにおいていろいろな事が起こる」と初めから示しておられた。直近では、トルコのクーデター事件、ポーランドでの濃霧など。今回は荷物がなくなったが、いろいろな問題が起こる時、主のわざはより大きく開くことを覚えたい。
 私も不眠が続き、飛行機の中でも1時間くらいしか眠れなかった。前回のイスラエルチームでも到着した時に非常に疲れていたが、今回はそれ以上で、「これは危ないぞ」と感じるほどだった。また、霊的な攻撃の面もあり、医学的に説明できないことも起きてくる。最悪の場合、明日帰国しなければならないかと思うほどだったが、主が示してくださったことがあり、抜けてきた。
今日、黄金門に行ったが、ここはキリストが再臨される時に通られる所とされている。TLEAでは初期から黄金門を背にして祈ってきた。「現在の黄金門は、本当の黄金門ではない」という説に立つ方もおられるが、神殿の所に直接くるような位置に現在の黄金門はあり、神殿は山の峰にある。峰は現在の黄金ドームの位置と同じ高さの峰がもう1つある。アブラハムがイサクをささげた所は峰の所だ。黄金ドームではないもう1つの峰がまっすぐに行くと黄金門で、さらにまっすぐに行くとオリーブ山となり、ともにまっすぐに続いている。もう1つの峰が本当の神殿である可能性は確かにあるが、論争するほどの問題ではない。
なぜなら、オリーブ山の上で天が開け、そこからイエスさまが昇天され、再臨される。数十メートルの違いであり、(今は)天を思いつつ、天を見上げて礼拝することに特別な恵みがあると言えるからだ。
 さて、YouTubeである牧師の説教を聞いていたが、その方は患難中携挙説であることが分かった。患難時代は今、近づいており、7年間の患難時代の終わりにキリストがオリーブ山に再臨される。すべての聖徒たちもキリストとともに来る。真ん中の3・5年に携挙が起こる。患難時代は、7年間の最初に反キリストが中東和平を包括的に締結するその時から始まる。今、ロシアの問題が取り上げられているが、ロシア、イランを中心とした勢力がイスラエルを攻めることが聖書に予告されている。ウクライナ問題を経て、ロシアはさらに強硬になると聖書から言えるを覚えたい。

 さて、(TLEAでは11月から)新しい年度に入っているが、昨年度、まだ、患難時代に入っておらず携挙は起こっていないが、大変な時代に入ったと感じさせられた。新型コロナウイルスの影響で世界は変わり、経済も影響を受けた。また、ロシアがウクライナを攻めたが、今、ロシアが核兵器を使う可能性が取り上げられている。世界はもっと困難になっていくだろう。マーリン・キャロザース師は「感謝の教えを知らなければ、クリスチャンであってもこの時代を乗り切れないだろう」と語っておられた。
 では、私たちはどうすればいいのか、山に逃げて穴を掘って隠れればいいのか、そうではない。クリスチャンは困難に遭っていることが多く、特に、死ぬ前に困難を通る器がかなりいる。パウロもその一人と言える。困難や問題は、より神さまの働きを私たちがとらえ、祝福、栄光が現されるために用いられている。TLEAの方々は、より困難を受ける方向に導かれると言えるかもしれない。
 神さまの祝福は、よりよい形とより悪いと思える形と両方やってくる。悪いと思える出来事を通して主のわざ、恵みを私たちは体験するのであり、それが皆さんにも始まっているのではないか。
 クリスチャンには2通りあり、良いことは祝福、悪いことは呪いのように考え、離れ去ることを願う方々もおられるが、それでは悪いことを通して現される主の恵みを見ない。洗濯機の中にいるかのように困難で自分たちが引きちぎられるかのように思うのは間違いだ。「神によって生まれた者」=クリスチャンは、「世に勝つ」と書かれているからだ。問題が起きた時、神さまがそこから逃げていなさい、と言われた聖書箇所が1つもない。ロトが町から逃げるように言われたが、それは町が滅ぼされるからであってこれとは違うケースだ。
 問題に対しては立ち向かい、信仰の対応を取る必要がある。それを通して神の栄光が現される。信仰の対応の中心は、聞き従うことと感謝することだ。
聖書では、問題、困難で私たちが撃ち負けるとはどこにも書いていない。明らかに、信仰により、神の力によって勝利を受けると書かれている。それを覚えて歩みたい。

 最後に、「リバイバルは始まっている」、「私たちはリバイバルの器として大きく用いられ始めている」、「私たちは誰よりも愛されている」、「私たちの回りにあるすべての問題を神さまは益とし、勝利を与えてくださる」、「神さまは私の人生の目的をまっとうさせてくださる」と共に告白する時がもたれ、メッセージが閉じられた。