長崎原爆資料館ホールで開催 「白い馬」の主の働きに備える
長崎殉教記念聖会が2月6日、昼の部が午後1時30分から西坂公園で、夜の部が午後7時から長崎原爆資料館ホームで開催された。夜の部について紹介する。
前半賛美、預言の後、長崎エルサレム教会のイザヤ木原真牧師が昼の部と同じくマルコの福音書8章34節からショートメッセージを取り次いだ。
このみことばは弟子だけでなく群衆に対しても語られた呼びかけのことばであり、「ついて来たいと願うなら」とあるので命令ではなく、願う側の選択であること、その場合、自分の願いや方法、自我を捨て、主が委ねる十字架、使命を負ってついてくるようにという意味だ。
殉教者たちは、何度もやめるチャンスがあったのに喜んでついて行った。なぜかというと、自分がどれほど父なる神さまに十字架で完全に赦され、愛されているのか、霊のうちに染み入るように分かっていたからだ。
また、彼らは自分だけでなく、神さまをまだ信じていない人も神さまから深く愛されており、その神の愛を受け取っていない人々のことを思い、心が痛んでいた。何よりも、神さまがそのことをきりきりと痛んでおられ、深く悲しんでおられる。彼らは、その神さまの思いを分かっていたからこそ、福音を伝えることをやめなかった。
私たちはふさわしくない罪人だが、この終わりの時代、信じる者たちを通して1人が100万人をキリストに導くと語られたほどの神の栄光のわざ、約束を成就してくださる。
ゴスペルグループのGiftsによる特別賛美、後半賛美と預言の後、パウロ秋元牧師がヨハネの黙示録6章1、2節からメッセージした。以下、抜粋する。
土曜日に、東京アンテオケ教会の賛美グループが浦和駅前で許可を受けて路上ライブを行い、非常に多くの人々がやってきた。「今まで28組やってきた中であなたがたが一番良かった」とのコメントをいただき、5月にも行うことになった。
賛美の働きでは驚くべきことが起きていると感じる。非常にレベルの高い賛美グループが各地に立つようになり、作詞作曲では1675曲作られ、路上ライブなどを通して救われ、献身したり、自殺をとどまったりする方がおこされるなど、主のわざが起きている。
第1ヨーロッパチームで船の片隅で「賛美しなさい」と語られ、主のみ思い、深いご計画を知らないままやってみたが、約40年たってこれほど深い主のご計画があるとは思わなかった。
さて、ドイツ・スイスチームが遣わされた。東ヨーロッパから西ヨーロッパに至ると語られた示しの成就であり、『預言』の本の働きも進んでいる。
神さまは、私たちの教会の働きを準備段階と本格的段階の2つに分けており、このチームは本格的段階に入っていくチームだったと言える。
それらの開設を踏まえ、ドイツ・スイスチームのダイジェスト映像を視聴した後に秋元牧師は再び語った。
スイスの教会はチューリッヒで一番大きな教会であり、私たちを本当に歓待してくださり、集会も素晴らしく祝福された。「一生のかかわりになるだろう」と言ってくださったほか、こちらのイスラエルチームへの参加の希望をされたり、日欧合同Webコンサートへの参加など
ドイツでも本当に歓待してくださった。これほど歓待を受けたことは海外宣教上でも稀有な事と言える。
私の体の事情から考えても非常に宣教チームに行きにくい状況と言えたが、祈る時、力が与えられる。医師の方から今回、ついに「5年、10年と海外に行ってください」と言われるに至った。
明日から、ペテロ窪田牧師がハリウッドに行かれる、また、アメリカ、インド、アフリカ、そしてウクライナなど、一斉に神の働きが動き始めている。
さらに、白馬スネルゴイキャンプのCM映像を視聴し、秋元牧師は続けた。
日本のいろいろな教会にリバイバルが起こってくる、皆さんの教会にも起こってくる。用意をなしていくことが重要だ。
東京アンテオケ教会のウェブサイトに掲載されている体験談「クリスチャンのより道の中」で、東京アンテオケ教会の萱野美代子牧師の体験談を視聴し、秋元牧師は開いた聖書箇所からみことばを解き明かした。
この後、キリストの再臨が起こるがその前の7年間を患難時代と言う。その時代に7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢という神さまの手が入る。
その最初に白い馬が登場する。これは使徒の働き2章17~21節に書かれたヨエルの預言に書かれた内容が(再び)成就することを意味する。「主の大いなる輝かしい日(すなわちキリストの再臨)」と書かれているからだ。また、これによりヨハネの黙示録9章7章9節にあるように、患難時代の前半に救われたおびただしい数の人々の救いが起きる。
誰がその働きを担うのかというと、同7章4節にあるように、イスラエル人の真に主に従う者たちを中心にその働きが起こる。これは患難時代前半の事を指し、皆さんに、私に、真に神さまを求める世界中の教会にこれが起こってくる。このわざをなされるのは主であり、私たちは備える必要がある。