イエス様がね「私がその神学校をやりましょう」と言われたように思えた
JTJ宣教神学校 創立30周年記念礼拝が2022年9月19日、ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会にて行われた。同礼拝でサックス演奏とメーセージの奉仕に立たれる前に、岸義紘牧師にお話を伺った。
ーーJTJ宣教神学校 創立30周年、おめでとうございます。この30年を振り返られますと、一番印象に残っていることはどのようなことでしょうか。
岸義紘牧師
一番印象に残っていることは、出発点ですね。
チョーヨンギという先生の教会が歌舞伎町にあって、そこに聖書学校がありました。使徒行伝を教えてほしいというふうに頼まれて、それで教えました。
次の日の朝、学生のレポートを読みました。そうしたらね、九州の方の学生でカセットテープで勉強している人のレポートがありました。これがですね、素晴らしい! もう本質をつかんでそれにきちっと応えて、このカセットテープ通信制はすごいなと思いました。
その時ね、僕はあるテレビ伝道のプログラムを頼まれていて、それで毎週そこでやってほしいということで、試しのビデオテープが出来上がっておりました。ところが急なことでそれを支援するグループが、教会がとか、会社が傾いてとかで話が失くなりました。
それで、僕の手元に15本ぐらいのビデオテープとか、その番組が残りました。それで通信でカセットテープでこれだけの教育的効果がある。これもあのビデオテープは簡単に複製ができて15本ももらっている。その教師の授業をビデオテープにして通信制、これが一遍にその朝にひらめいて。
そしたらね、イエス様がね「私がその神学校をやりましょう」と言われたように思えたので、肩に手を置かれたわけではないし、そういう声が聞こえたわけでない。
心の強い印象です。
よーしこれだ。イエス様が来られる。イエス様が日本に来られる。神学校をなさる。
すごい感動して、興奮状態になって、それですぐお手洗いに行ったんですけれども、鏡に映っている自分の顔を見てびっくりしました。鳥肌が立っているかと思ったら、鳥肌どころでない、ボッコボコです。顔が紫色になっていた。感動のあまり、興奮のあまりね。
それでイエス様が日本に来られる ”Jesus to Japan”
イエス様が日本に来られ、そして神学校を始められる。
私たちは「Jesus to Japan」、イエス様を日本に、世界に伝えていく。
これで、「JTJ」(Jesus to Japan)が決まった。そこで決まった。
これでイエス様が神学校を創られるとしたら、入学試験はない。勉強したいという信徒の人がいれば、誰でもイエス様は受け入れられる。それで入学試験も何もない。誰でもいつでもどこででも、イエス様の神学校で学ぶことができる。
これで一気に方向性が決まりました。内容も決まりました。そして、お金は誰にも頼まない。イエス様が始める神学校なら、イエス様が調達なさる。だから献金を訴えることをしなかった。
それで結局は通信制があったので、誰でも勉強したい人は入ることができたから、一気にそういう神学校にこそ行きたいという人たちも全国にいたんです。だからすぐ1000人ぐらい申し込みが来て、それで悪いけどその人たちが払ってくださった受講料などで運営を続けて来ることができた。
1000人の人たちが一時入ったんですけれども、実際には続かない人たちも大勢いますから、それだからそれは申し訳ないんだけれども、自己責任で勉強をやめて行かれるようなことで。でも納めた学費のような、それも安いですよ。学費のようなものも、これはイエス様が学校を続けるためにささげてくださったものとしていただきましょう。でも返してくれ言われれば返しました。そういう人はいなかった、1人もいなかったと思う。
こうやってあっという間に30年でした。だけれども出発点が全て。
その全てがそこで決まりました。
ーーそこから30年ですね。では岸先生が神様に従われて来られた中で、これが一番大事だなと思われていること、感じていることはどのようなことになられますか。
岸義紘牧師
一番大事なことね。
とにかく最後までイエス様のしもべとして、イエス様の後についていく。
もうこれですね。
それが何であったとしても、犠牲を払う場合は喜んで犠牲を払い、イエス様の後について、しもべとしての働きや責任を一つずつ果たさせていただくということですね。
ーー今すごい時代が変わってきていると思いますが、この中でイエス様の再臨も非常に近づいていると感じています。長く神様に仕えて来られて、そういう変化、神様の働きの変化というものを感じられますか。
岸義紘牧師
感じますね。
本当に今言われたように再臨直前だと思います。
イエス様がマタイの福音書の24章でしたか、世界的に世の終わりのさまざまな事象について語っておられますけど、全部当てはまっていますね。
それですから、それが明日であるとしても、10年先であるとしても、とにかく日々、主のしもべとしてイエス様の後に従っていくということです。
ーーそれでは最後に、MIKOE NEWSの読者の皆さんに一言いただけないでしょうか。
岸義紘牧師
読者の皆さんはじめまして。
(TLEA東京アンテオケ教会)秋元先生は僕の恩師、恩人です。足を向けて寝たことは一晩としてありません。
そして、秋元先生が始めていかれた、この大きな霊の祝福の流れというものが全世界に広がっていて、そして聖霊の豊かなみことばの祝福が注がれて、わずか30年か40年でしょう。秋元先生がこの働きに手をつけられてからね。
素晴らしい奇跡的な展開、拡張。ぜひ皆さんもイエス・キリスト様の後、秋元先生を先頭に皆さんで進んでいただきたいと思います。
ーーどうもありがとうございました。
岸義紘牧師
まだ時間ありませんか。(集会開始時間まで)あと5分くらい。
ーーそれではあと少しいいでしょうか。以前TLEA東京アンテオケ教会の集会に来ていただいて、岸先生にサックス演奏とメッセージをしていただいたことがありました。
岸義紘牧師
あー、ホテルでありましたね。
ーー岸先生が、賛美の働きの中で大切にされていることがあれば教えてください。
岸義紘牧師
何にもありません。
ただ一生懸命吹いているだけです。
主を賛美するだけです。主にささげる賛美で、一般の歌の場合にも、主にささげる賛美として、きよめて吹かせていただいているつもりです。
それでそれを聞いてくださる方が、年齢層も全く越えていますからね。それだから聴いてくださっている人たちが心洗われる思いになったり、心安らいだり、あるいは信仰の炎が燃えたり。
それぞれの立場で聴いてくださるから、イエス様が賛美されるように、そんな気持ちでいつも全てを賛美歌として吹いております。ハーレムノクターンも、賛美歌として吹いております!
ーーどうもありがとうございました。